2007年10月11日木曜日

忘れられた日本人/宮本常一



何年か前に、NHKのETV特集で宮本常一を知った。日本各地の農村を歩いて旅した民俗学者。行く先々の民家に泊まり、その土地の人の話を聞いて回った人。日本一周徒歩の旅が夢の僕としては、とても感銘をうけた番組だった。けど、ずっと忘れていた。
最近、柿渋の本を求めて本屋に行った時、横の棚にずらっと著作が並んでいて、記憶がつながった。しかも著作を眺めていると、「忘れられた日本人」といった題名の作品が目に止まった。最近いろいろ考えてることとつながって、これだと思った。しかし、八重洲ブックセンターにはいつも感謝するよ。散財させてくれてありがとう。

で、今日読み終えた。

「忘れられた日本人」

すごいタイトルでしょ。

昭和14年以来、日本全国をくまなく歩いて出会った、老人、古老、名も無き人がどうやって生きてきたかを、学術文書ではなく、著者の感情が伝わる生々しい文章で「生きた生活」が描かれています。

ちょっと目次をあげてみると、

村の寄り合い
女の世間
私の祖父
世間師
文字をもつ伝承者

これだけでも興味そそります。
なかでも、”私の祖父”が、代々受け継がれてきた文化を継承し、自然と調和して生きる百姓としての祖父の姿が、著者自身の一緒に暮らした経験とまなざしでもって、味わい深く語られていて、じーんと心に響いたな。

それ以外にも、現代ではまったく知らない日本人の生き方のオンパレード。
百姓の生活、田植えの仕方、村社会の有り様、男女の性、人の交流、老人の役割、旅人の役割、などなど、本当にまったく知らないけど、わくわくするような話がいっぱいで、これがほんの100年ほど前の日本だったとは信じられないことばかり。

宮本常一は、

「ともすると、前代の世界や自分たちより下層の社会に生きる人々を卑小に見たがる傾向がつよい。それで一種の悲痛感を持ちたがるものだが、ご本人たちの立場や考え方に立って見ることも必要でないかと思う」

と仰る。

うむ、これ読んでそう思った。
どうも、昔の生活ってきつくてしんどいという風にしか伝わってないんだよな。
この本の中だと、たしかに生活はきつそうなんだけど、めちゃめちゃオモロイんよね。オモロイというのは、みんなが語る話が生々しくて、活き活きとしていて、そこには確かな人間の営みがあるんだよな。エロ話なんかもかなり興味深かったりする。

忘れられた日本人、
いや、
忘れてるかどうかもわかんない日本人、
これ義務教育にすべきだよ。

「私は長い間歩き続けてきた。そして多くの人にあい、多くのものを見てきた。その長い道程の中で考え続けた一つは、いったい進歩というのは何であろうか。発展とは何であろうかということであった。すべてが進歩しているのであろうか。進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものを進歩と誤解し、時にはそれが人間だけではなく、生きとし生けるものを絶滅にさえ向わしめつつあるのではないかと思うことがある。進歩の影に退歩しつつあるものを見定めてゆくことこそ、われわれに課されている、もっとも重要な課題ではないかと思う」

進歩の影に退歩しつつあるもの、、
まだこの日本にあるだろうか。
急がねば。

宮本常一 - Wikipedia

0 件のコメント: